川崎製鉄(日本企業の経営行動,2001、有斐閣)
はじめに
敗戦の影響:物理的・精神的に国民は混乱、とくに重工業部門では生産を自主的には決めれない
▶問い:ここからどうやって、大規模な設備投資、生産力、国際競争力の原型を気づいていったのか?
1,日本の鉄鋼業発展の特徴
1 革新的だった日本の鉄鋼業
なんで、鉄鋼業を取り上げる?
→鉄鋼業の驚異的発展抜きで戦後発展を考えることができないから
日本の鉄鋼業の発展:技術・知識・経営のパラダイムチェンジによって大きく発展しうる=驚異的
→曲がりくねった道のり
鉄鋼業の敗戦直後の状況:石炭・鉄鉱石・電気なし→だから、やめよう
これに対して浅田長平:鉄はやる必要はあると反論
→では、誰がその後の鉄鋼業を担ったのか?
2 高い投資と生産性
(P178、図1)
熱間圧延薄板と冷延薄板の製造ともにアメリカを抜くほどの生産性の向上を果たす
どうやった?強気の投資があったから(成長があるから投資ではない)
(180P、表1)
生産能力の伸び率、新設比率、上位10工場の規模
→驚くほど高い
→技術革新により効率よく資本を使い、生産性を高めることができたから
3,積極的な技術革新
では、技術革新とは?
(1)輸入くず鉄は大きく価格が変動するために、くず鉄の依存度が低いBOFは魅力的
▶これは銑鋼一貫化を前提とした生産方式
(2)生産性において優れた利点があり、しかし建設費が高い
▶戦後日本の鉄鋼企業が巨額の資本を大規模な新規銑鋼一環工場と画期的イノベーションとにきわめて意図的に投下してきたという事実である。
技術のインバランス:ある優れたイノベーションがある生産工程の一部に導入されると、その前後工程に生産能力や生産時間のインバランスが生じ、そのインバランスを解消するためにさらなる技術革新が次々に導入されていくという考え方である。
→BOF:高炉の大型化と連鋳(コンピュータの導入)
これらのイノベーションは銑鋼一環システムの導入と密接に関連した企業行動だったと推測
では、大型の新鋭一環工場建設がなぜ相次いだのか?
2,西山弥太郎の革新性
1,何が、そして誰が日本鉄鋼業を変えたのか
重要な出来事
(1)1947年過度経済力集中排除法による日本製鉄の分割
(2)川崎製鉄の独立と銑鋼一貫化
川崎重工は、集排法が緩和されたにもかかわらず
→製鉄部門をリードしたのが西山弥太郎
→千葉における銑鋼一貫工場の導入(経済不況や先行き不安の原料事情がありながらも)
2,川鉄・西山弥太郎の3つの革新性
日鉄・富士・八幡、川崎・住友・神戸
第1の革新性:川鉄の銑鋼一貫工場→一貫メーカー6社による寡占的な競争形態をまねく
川崎→脅威→富士・八幡
住友・神戸:鋼管、線材、機械にも専門にしていた
→一貫六社の寡占的競争関係へ(図3)
第2の革新性:千葉工場がこれまでにない工場であったこと
→合理的なレイアウト・臨海地区・東京近隣
→旧工場の改善よりも新鋭工場建設という戦後の投資パターンを形作る
特徴:(1)戦後民間企業初の技術使節団を派遣(2)世界の製鉄所のレイアウトのプロトタイプなったともいわれている
第3の革新性:他人資本の活用による設備投資の推進
→(1)銀行からの役員派遣(2)世銀からの融資
▶高度経済成長を予想させるような革新性は「投資が投資を呼ぶ」という戦後発展の先駆となった。
わからないところ
おわりに−連続性と非連続性−
西山:日本鉄鋼協会の最高賞服部章の受賞者、川崎重工部門の最高責任者
→充分な技術蓄積があった。
戦後の非連続的大変化:経済パージにより川崎重工の経営陣が入れ替えられ、最年少の重役として、最高経営者の一人になった西山がこの非連続的な環境に対応し、代替な意思決定を行った